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山内荘(中世)


鎌倉期~戦国期に見える荘園名相模国鎌倉郡のうち史料上には単に「山内」と見えることも多く,当荘の一部である鎌倉市山内のみを指す場合としばしば混用される「吾妻鏡」治...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7305426]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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山内荘(中世)

平安末期~戦国期に見える荘園名丹波国船井郡のうち建長5年10月21日付の近衛家所領目録に「庄務本所進退所々」の一所として「丹波国山内庄〈信輔 京極殿領内〉」と見え(近衛家文書/鎌遺7631),藤原師実の時以来の摂関家領初見は平安末期の年月日未詳某書状(京都大学所蔵兵範記仁平2年2月巻裏文書/平遺4758)ここに「抑知足院御領直米内山内荘廿石」と見える次いで,建暦3年2月日付の慈鎮所領譲状案に常寿院領の一所として見え,天福2年8月日付の慈源所領注文にも常寿院領の一所として「丹波国 山内庄 所当三十石 在雑事」とある(華頂要略/鎌遺1974・4687)また,「執政所抄」によれば,正月元日に薦40枚を「山内」が,4月8日の吉田祭には柏を「山内・野口両御庄」がそれぞれ負担している(続群10上)その後,建武3年11月28日には,光厳上皇が当荘など諸国25か所の荘園を,相伝に任せて「前左大臣殿(近衛基嗣)」に安堵しているが(海蔵院文書),以後,摂関家領としての帰趨は未詳荘内には数か村があり,上・下の区分もあったらしく,そのうち「上三ケ村」は,やがて室町末期には幕府御料所となっている文明14年10月日,「御料所丹波国船井郡山内庄上三ケ村名主御百姓等」は言上状を提出,同所は小河殿(足利満詮)の御料所となって以後,応仁・文明の乱以前まで今出河殿(足利義視)の御料所であったが,乱中,守護細川政元が押領してしまったので,元のごとく御料所として欲しい旨を訴えており(蜷川家古文書第10集),文明末期の諸国御料所方支証目録にも「一〈同(丹波)国〉山内三箇村 御奉書一通」と見える(内閣文庫所蔵文書)また「政所賦銘引付」文明9年12月8日条によれば,飯河中務丞忠資の知行分として「丹波国山内庄塩田村内元来名」が見え,須智源三が押領していたことが知られ(親元日記別録/続史料大成),「政所賦銘引付」2巻文明13年8月4日条には「丹波国山内庄塩田村并高屋村」が見える(内閣文庫所蔵文書)下って天正11年8月朔日,「丹州船井郡山内庄内弐百五拾石」が豊臣秀吉から上部大夫に宛行われている(可睡斎文書/大日料11-4)荘域は,由良川支流高屋川の中・上流域のかなり広い地域を占めていたらしい年月日未詳(永禄初年か)で「御料所 丹波山内庄八ケ村 小川殿御領」と題する注文には,志津師(質志)・鼓打・十勢(実勢)・八田・須智・塩田・高屋・紅(紅井)の8か村が書き上げられている(蜷川家古文書第23集)なお,「太平記」巻17山門牒送南都事には「嵯峨・仁和寺・高雄・栂尾・志宇和・山内・芋毛・村雲ノ者共馳集テ,千余騎京中ヲ足ノ下ニ見下シテ,京見峠・嵐山・高雄・栂尾ニ陣ヲトル」と見え,「園太暦」文和2年7月27日条には「或云,山名在丹波山内辺,楠木・四条等猶仕神崎辺,明日武家可遣打手云々」とあるが,いずれも当地を指すものであろう山内氏は当地を本拠とし,江戸期の土佐藩主山内家はその後裔であるとする説もある

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山内荘(中世)
平安末期~戦国期に見える荘園名丹波国船井郡のうち建長5年10月21日付の近衛家所領目録に「庄務本所進退所々」の一所として「丹波国山内庄〈信輔 京極殿領内〉」と見え(近衛家文書/鎌遺7631),藤原師実の時以来の摂関家領初見は平安末期の年月日未詳某書状(京都大学所蔵兵範記仁平2年2月巻裏文書/平遺4758)ここに「抑知足院御領直米内山内荘廿石」と見える次いで,建暦3年2月日付の慈鎮所領譲状案に常寿院領の一所として見え,天福2年8月日付の慈源所領注文にも常寿院領の一所として「丹波国 山内庄 所当三十石 在雑事」とある(華頂要略/鎌遺1974・4687)また,「執政所抄」によれば,正月元日に薦40枚を「山内」が,4月8日の吉田祭には柏を「山内・野口両御庄」がそれぞれ負担している(続群10上)その後,建武3年11月28日には,光厳上皇が当荘など諸国25か所の荘園を,相伝に任せて「前左大臣殿(近衛基嗣)」に安堵しているが(海蔵院文書),以後,摂関家領としての帰趨は未詳荘内には数か村があり,上・下の区分もあったらしく,そのうち「上三ケ村」は,やがて室町末期には幕府御料所となっている文明14年10月日,「御料所丹波国船井郡山内庄上三ケ村名主御百姓等」は言上状を提出,同所は小河殿(足利満詮)の御料所となって以後,応仁・文明の乱以前まで今出河殿(足利義視)の御料所であったが,乱中,守護細川政元が押領してしまったので,元のごとく御料所として欲しい旨を訴えており(蜷川家古文書第10集),文明末期の諸国御料所方支証目録にも「一〈同(丹波)国〉山内三箇村 御奉書一通」と見える(内閣文庫所蔵文書)また「政所賦銘引付」文明9年12月8日条によれば,飯河中務丞忠資の知行分として「丹波国山内庄塩田村内元来名」が見え,須智源三が押領していたことが知られ(親元日記別録/続史料大成),「政所賦銘引付」2巻文明13年8月4日条には「丹波国山内庄塩田村并高屋村」が見える(内閣文庫所蔵文書)下って天正11年8月朔日,「丹州船井郡山内庄内弐百五拾石」が豊臣秀吉から上部大夫に宛行われている(可睡斎文書/大日料11-4)荘域は,由良川支流高屋川の中・上流域のかなり広い地域を占めていたらしい年月日未詳(永禄初年か)で「御料所 丹波山内庄八ケ村 小川殿御領」と題する注文には,志津師(質志)・鼓打・十勢(実勢)・八田・須智・塩田・高屋・紅(紅井)の8か村が書き上げられている(蜷川家古文書第23集)なお,「太平記」巻17山門牒送南都事には「嵯峨・仁和寺・高雄・栂尾・志宇和・山内・芋毛・村雲ノ者共馳集テ,千余騎京中ヲ足ノ下ニ見下シテ,京見峠・嵐山・高雄・栂尾ニ陣ヲトル」と見え,「園太暦」文和2年7月27日条には「或云,山名在丹波山内辺,楠木・四条等猶仕神崎辺,明日武家可遣打手云々」とあるが,いずれも当地を指すものであろう山内氏は当地を本拠とし,江戸期の土佐藩主山内家はその後裔であるとする説もある...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山内荘(中世)
 平安期~南北朝期に見える荘園名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山内荘(中世)
 平安期~鎌倉期に見える荘園名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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