ケータイ辞書JLogosロゴ 四ツ谷村(近世)


神奈川県>座間市

 江戸期〜明治22年の村名。相模国高座【こうざ】郡のうち。寛永10年幕府領,元禄10年旗本森川氏・高木氏・戸田氏の3給,幕末には旗本森川氏・戸田氏・高木氏知行と幕府領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに246石余,「旧高旧領」254石余うち旗本3氏それぞれ82石余,幕府領7石余。「新編相模」によると,江戸から12里,家数40軒,東西7町余・南北6町余,平塚宿から八王子(東京都)への往来に位置し,高札場1。また鎮守は山王社,ほかに天神稲荷合社がある。寺院は浄土宗心光山往生院浄土寺,ほかに修験の大覚院がある。戸塚宿の助郷村となる。元和3年徳川家康の遺体が,上郷村から北の新田宿村を通って日光へ向かったと伝えられている。水害も多く,初めの集落は流失し,東方に移住せざるを得なかったといい,安政6年の洪水では,流木が浄土寺に突き当たったという(宗仲寺史)。また下流の村々との間で水論がしばしば起きた。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。「皇国地誌」によると,税地反別76町3反余うち田31町3反余・畑30町3反余・宅地4町1反余・山林1反余・芝地10町4反余,戸数48・人口248,馬14,舟2,川は相模川・籏川(歴史同人紅葉坂3)。同6年,座間入谷・座間・新田宿の各村とともに,座間入谷村に風牛学舎を開設,同19年新田宿村とともに湘川学校を開校。同22年座間村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305521
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ