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「万町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

万町(近世)


江戸期~明治8年の町名明治4年からは小田原駅を冠称江戸期は小田原城下の町人町通り町9町の1つ「よろっちょう」と通称された小田原城の南東,東海道沿いに形成され,東...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7305524]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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万町(近世)

 江戸期~明治22年の町名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

万町(近世)
江戸期~明治4年の町名島原城下の1町島原城の南に位置し,大手川より堀町までの南北102間・幅2間の道を挟む横町を形成町名の由来は,よろず商売の町の意と伝える新町別当(町年寄)隈部杢左衛門の管轄元禄8年の店だな飾りや,宝永4年の万町振興のための興業は大いににぎわったという天明3年和光院付近からの失火により当町西側が全焼寛政4年の「島原大変」では眉山崩壊により流失した土砂で埋没明治4年島原村の一部となるなお,同11年島原町に属し,同14年の「郡村誌」には島原町古町組のうちの1町として万町の名が見えるその後,明治22年島原町,昭和15年からは島原市に属し,島原町・島原市島原(大字なしの地域)の通称町名に万町がある昭和51年より町名・町界整理が進むが,当町は昭和61年段階で未整理昭和55年の世帯数40・人口148(男63・女85)昭和55年アーケード完成,サンシャイン中央街として商店街は活況を呈している...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

万町(近世)
江戸期の広域町名宮津城下六町組の1組万町と金屋谷で町組が構成されていた寛文初年以前の地子地は高25石余で,ほかは皆原村の小散田地(地方秘鑑)同6年の反別は1町4反余で地子米は16石余(京極丹後守様御上地町地子並ニ家別)家数は,寛文6年162軒,元禄16年163軒,寛保4年162軒(981人),宝暦年間160軒余,明治維新以前240軒(宮津旧記・宮津府志・丹後宮津志)貞享元年大野村の水晶山の開発について藩から募集があり,当町の3人が応募した同3年の年寄苦労米は2石余であった天和2年当町の住民は御用金65両を藩へ上納したまた,例年の山王祭礼の練物芸として,当町は塩を扱っていることにちなんでハマグリ踊を披露したという(宮津旧記)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

万町(近世)
江戸期の町名松山16か町の1町淀川水系宇陀川流域に位置する元禄8年の地子米3石余(宇陀郡史料)同16年検地での屋敷数は西側10・東側9元禄年間の町年寄は又助・孫兵衛慶応2年米価高値のため助請銀100文が支給され,渡方19人(大宇陀町史)町の規模は東西33間・南北34間(町村誌集)慶応2年の松山町記録には万六町と見え(大宇陀町史),江戸末期には六軒町と合併して万六町となった(町村誌集)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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