ケータイ辞書JLogosロゴ 青山村新田(近世)


新潟県>新潟市

 江戸期〜明治22年の新田名。蒲原郡のうち。青山新田村とも称した。安永2年割付帳(新潟市合併町村の歴史史料編3)によると寛文6〜9年の開発。新潟浜村の枝郷。はじめ長岡藩領,文久2年幕府領,同3年会津藩領,慶応3年からは再び幕府領。村高は,「元禄郷帳」182石余,「天保郷帳」162石余。当地内の水田は胸まで達するほどの深田で,竹竿を横たえその上にあがり胸までつかって田植えをし,秋には舟で稲刈りをしたと伝えられ,隣の平島村とはこの深田を舟で往来したという(新潟市合併町村の歴史1)。文久4年精算録(斎藤家文書)によれば,収穫高は低く,年貢は金納が常であったという。元文年間頃から水害を防ぐために東隣関屋村との間に堀割を開削する計画が立てられたが,湊の水位低下をおそれる新潟町の反対で実現しなかった。文久3年会津藩領となった時,藩は直接食塩などを会津若松城下まで移送することを計画して堀割開削を計画したいわゆる塩事件がおきた。仲金(塩入役)の収入が得られなくなる新潟町の反対にあい計画は実現しなかった(新潟市史上)。庄屋は鈴木家で,新潟町の金刀比羅神社の神官から分家して当地に移り,以後幕末まで庄屋を勤めた。慶応2年の家数18,馬18(新潟町会所文書)。神社は御幣稲荷で,青山五兵衛狐の伝説ゆかりの地として近郷の信仰を集めている。社家は庄屋の鈴木家。「皇国地誌」によると,戸数22,馬18,海漁船50石以下7艘,稲押船48艘があり,物産は葱・芋などのほか鰯が特産物。半農半漁で,漁猟株は長蔵網・五助網・新規網・太蔵網・親様網の地引網5統のほか定置網2統で,春秋の鰯漁が中心であったという(新潟市合併町村の歴史1)。明治12年西蒲原郡に所属。同21年の戸数24・人口195。同22年下坂井輪村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305620
最終更新日:2009-03-01




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