ケータイ辞書JLogosロゴ 赤沢村(近世)


新潟県>津南町

 江戸期〜明治22年の村名。魚沼郡のうち。江戸前期は信濃川右岸の台地上,および中津川左岸に点在する6か村の総称。本村である赤沢村のほか,反り村・赤沢惣新田・上反り新田・中子村・穴藤村からなる。元和2年長峰藩領,同5年福島正則領,同8年幕府領,寛永元年高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「正保国絵図」66石余,「天和高帳」「元禄郷帳」ともに42石余,「天保郷帳」では枝村分を含み632石余。元禄7年改村鑑によれば,本村の家数27(庄屋2・本家21・水呑3・神主1)・人数199。鎮守は八幡社。寺院は曹洞宗実相庵・真宗高田派大聖寺・天台宗明学院。赤沢村6か村を統括する庄屋が本村である赤沢村に置かれた。庄屋は当初2人であったが,のち1人となり格番制で勤めた。江戸中期以降は赤沢村が各村を吸収,郷帳類では赤沢村1村として扱われるようになる。宝暦6年新田検地では,総村で高211石余・反別106町余が新たに打ち出された。善光寺街道(市川東通り)が通っており,休泊所となっていた。文政年間に反り村と対岸足滝村が船渡しで結ばれ,当村の往来が減少したため,嘉永6年当村が代官所に訴え出る事件が起きた。天保6年村明細帳によれば,総村の家数196・人数1,004。明治8年赤沢小学校が開校。同12年からは中魚沼郡に所属。同22年大部分が赤崎村の大字となり,中子村は上郷村子種新田となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305640
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ