ケータイ辞書JLogosロゴ 赤田(中世)


新潟県>刈羽村

 南北朝期から見える地名。越後国刈羽郡のうち。「尊卑分脈」嵯峨源氏の項によれば,鎌倉末期ごろ等なる人物がおり,「赤田兵衛尉」「越後国赤田保地頭職相伝」と注記され,等の子告にも「赤田保地頭職当知行」と記されている。下って,寛正4年4月20日の斎藤定信田地渡状に「越後国□(苅)羽郡赤田」と見え,天文8年9月1日の斎藤定信・同朝信連署寄進状の端裏書に「赤田村 額分寺御判」とある(善照寺文書)。戦国期当地は斎藤氏の所領で赤田城が築かれ,天正6年御館の乱が起こると上杉景勝方の要衝となったようである。景勝は旗持城の佐野清左衛門尉に対し,天正6年11月4日赤田の様子を報告するよう,翌年正月6日使者を海路赤田へ送るよう,命じている(歴代古案/越佐史料)。天正8年閏3月14日,景勝は軍功として,赤田城将斎藤朝信に刈羽郡内6か所を除くすべての地と大澄の神余親綱分を宛行った(斎藤文書/同前)。朝信は,同年9月28日「刈羽郡之内赤田村東福院門前屋敷」を東福院へ安堵している(東福院文書)。なお,永禄3年10月の貫屋家兼売券案に「赤田城」と見え,伊勢御師・伊勢信仰との関連も考えられる(京大来田文書)。地内の町方は戦国期の斎藤氏の城下町で,上町・掛場・向町などの小字が残る。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305651
最終更新日:2009-03-01




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