ケータイ辞書JLogosロゴ 赤土村(近世)


新潟県>守門村

 江戸期〜明治22年の村名。魚沼郡のうち。元和2年長岡藩領,同4年高田藩領,延宝9年幕府領,文久元年からは会津藩領。村高は,「正保国絵図」23石余,「天和高帳」36石余・赤土村新田4石余・赤土村真平新田13石余・赤土村権四郎新田5石余・赤土村五右衛門新田16石余,「天保郷帳」では赤土権四郎新田・赤土五右衛門新田・真平新田を除いて58石余。宝暦5年の家数21・人数107,馬3。鎮守は羽黒神社。農業のほか,男は薪・材木を切り,女は白布・小白布・縮・紬を織り養蚕を行う。また,山漆木・里漆木があり,蝋の実は領主の買上げとなる。破間川には船渡しがあり,また鮭漁を行う。当村は五右衛門新田・権四郎新田と田畑が入り交じり,境界が入り組んでいる。慶応4年村役人は会津藩小出陣屋の命で郷兵(庄屋)・村兵(組頭)として軍事訓練を受け,閏4月27日の小出島戦争に従軍する。明治5年の租税は本途米16石余,鮭税5銭余,鍛冶税4銭余,小役26銭余,戸数26・人口144。同8年真平新田・赤土権四郎新田・赤土五右衛門新田を合併。同12年北魚沼郡に所属。同18年大倉沢小学校赤土派出教場を開設。同21年の戸数37・人口199。同22年広瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305675
最終更新日:2009-03-01




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