ケータイ辞書JLogosロゴ 上路村(近世)


新潟県>青海町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,貞享2年高田藩領,元禄14年幕府領,文化6年からは高田藩領。村高は,「正保国絵国」280石,「天和高帳」26石余,「天保郷帳」33石余。江戸初期には親不知【おやしらず】の危険を避ける山間の道沿いに口留番所が置かれていた。貞享4年年貢割付状によれば,本米(取米)8石余・口米2斗余。享保6年年貢上納はそれまでの銀納から銭納にかわった。当時の金納額は金3両2分・永168文余で,ほかに大豆代・荏代・胡麻代などが賦課されていた。明和3年の家数29・人数167。神社は権現社・十二社。地元では権現社をテング,十二社を山の神と呼んでいる。明治4年の戸数37・人口174。同12年からは西頸城郡に所属。同22年市制町村制施行による上路村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305708
最終更新日:2009-03-01




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