ケータイ辞書JLogosロゴ 上輪村(近世)


新潟県>柏崎市

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,貞享2年からは高田藩領。村高は,「慶長国絵図」では揚輪村15石余,「正保国絵図」30石余,「天和高帳」47石余・新田297石余,「天保郷帳」55石余。古来北国街道米山越えの要地に当たり,「頸城郡誌稿」によれば,寛永元年鉢崎関所向寄11か村棟役免除に上輪村も含まれ,「鉢崎関所普請人足其外ノ諸用,佐渡国鉱山出金江戸表へ差出ニ付鉢崎泊ノ節,夜番又往還通米山三里之間山坂道作等相勤候ニ付郡役残ラズ免除」とされている。古くは米山海岸航海者の船着き場と目される。住人は半農半漁の生活。江戸後期払川が急流のため鉄砲水による被害に悩み,集落西方に川を改修。神社は源義経奥州落ちの折,北の方出産の伝説にまつわる胞姫神社など。寺院は日蓮宗(もと天台宗)妙泉寺。明治8年上輪新田小学校上輪分校が開校。同12年からは中頸城郡に所属。同21年の戸数77・人口404。同22年米山村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305711
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ