ケータイ辞書JLogosロゴ 芦ケ崎村(近世)


新潟県>津南町

 江戸期〜明治22年の村名。魚沼郡のうち。江戸前期は信濃川右岸,中津川左岸に点在する5か村の総称。本村である芦ケ崎村のほか,小下り村・城原新田・石坂村・百合草窪新田からなる。元和2年長峰藩領,同5年福島正則領,同8年幕府領,寛永元年高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「正保国絵図」59石余,「天和高帳」77石余,「元禄郷帳」80石余,「天保郷帳」では枝村分を含み281石余。天和2年検地では,本村分の反別田5町余・畑屋敷1町余。元禄7年改村鑑によれば,本村分の家数17(庄屋1・本家11・水呑4・寺1)・人数129,馬19。鎮守は十二社・二所権現。寺院は曹洞宗竜昌寺。芦ケ崎村5か村を統括する庄屋が本村に置かれた。川漁が盛んで,鮭・鱒役銀を上納。善光寺街道(市川東通り)が通っており,駅所で人馬の継立が行われた。河川の増水による橋梁・耕地の流失も多かった。江戸中期以降は各村が芦ケ崎村に吸収され,郷帳類では芦ケ崎村1村として扱われるようになる。明和5年芦ケ崎組15か村の組元村となる。天保9年明細帳によれば,総村の家数146・人数682,ほか寺1。嘉永2年竜昌寺住職天忠が寺内に芦竜窟と名付けた学館を開設。明治8年芦ケ崎小学校が開校,また小下り村に分校場を開設。同12年からは中魚沼郡に所属。同22年赤崎村の大字となり,あわせてもと城原新田は谷内【やち】村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305734
最終更新日:2009-03-01




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