ケータイ辞書JLogosロゴ 網代浜村(近世)


新潟県>聖籠町

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。天和3年御領内検分之書付(貴船家文書)に網代浜新田,元禄13年越後国村上・新発田領絵図(溝口家所蔵)に網代浜と見え,江戸前期には成立していたことが確認されるが,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」などの郷帳類には当村名が見えず,公的には明治初年の成立か。新発田【しばた】藩領。村高は,享和3年御領分組々村別石高庄屋名主名前帳で7石余。天和3年御領内検分之書付によれば,家数7・人数50,地子米1石とある。享保末年頃の新発田藩小物成諸役覚(県史),御所納之外在々より納并覚書(溝口家文書)では,家数18,馬5。島見浜や次第浜などからの漁師が土着して集落を形成したと考えられ,漁業中心の村であった。島見浜の西厳寺の過去帳によると,当地の古い檀家は5,6軒で,享保年間頃からとなっている。なお,弥彦村からの移住者は明治の頃まで卵を食べなかったといわれる。地内の茨島は,明治初年木崎村や新潟・亀田方面より移住の4,5軒によって加治川右岸に開発された地域で,加治川を航行して新潟方面への品物を運搬するのを主な生業とした。神明社がある。明治10年松ケ崎校の付属校として網代校が開校し,同18年網代小学校となる。明治12年北蒲原郡に所属。同22年亀代村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305750
最終更新日:2009-03-01




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