穴沢(中世)
室町期に見える地名。越後国魚沼郡のうち。応永7年10月5日付某証状に「犬飼兵衛太郎入道申堺之事,にこり又きたの峰堺,からすさわのきた峰堺,是者穴沢之内たるへく候」と見える(本間穴沢文書)。甲斐源氏平賀氏の一族が広瀬郷を領して当地を根拠地として穴沢氏を称し,大栃山地内の鷹待山に築城した(越後入広瀬村編年史)。穴沢氏は戦国期を通じて上田長尾氏の家中,のち上杉家中となった。穴沢氏の墓と伝える室町期の五輪塔がある。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305781
最終更新日:2009-03-01