ケータイ辞書JLogosロゴ 天野新田(近世)


新潟県>新潟市

 江戸期〜明治22年の新田名。蒲原郡のうち。元禄12年新田村枝郷新川新池除村年号間数方角之帳(新潟市合併町村の歴史史料編3)は東笠巻村枝郷慶安3年開発とあるが,慶長年間近藤勘十郎が片口村(現南蒲原郡今本成寺村)から移住して開発とも伝える(中蒲原郡誌)。新発田【しばた】藩領。村高は,「元禄郷帳」に東笠巻村枝郷として113石余,「天保郷帳」でも東笠巻村枝郷として270石余。江戸初期には信濃川が当村と楚川村の間を流れ,三方を信濃川に囲まれる形となり,水害は毎年大きかった。承応元年,村の背後に延長600間,幅80間の新河道を開削,延宝7年以後は信濃川本流となった。旧河道は年々浅くなり,幕末の頃には信濃川の遊水地となったが,洪水のたびに村は孤立した。このため名主加藤順蔵は古川跡の上流部と下流部を締め切り,新田開発と村の安全を計画したが,近隣の村々の同意が得られず,着工は大幅に遅れた。万延元年には完成したと思われる。しかし,新耕地の排水問題が起こり,のち明治6年一旦は解決したが,同31年にも訴訟が起こっている。名主は寛政年間には中沢家,文化5年から加藤家に代わった。順蔵は加藤家の2代目である。鎮守は神明社。ほかに稲荷宮があった。寺院は真宗大谷派永勝寺。明治3年村明細帳によると,戸数119・人口690,川役を納めており漁業も行っていた。同12年中蒲原郡に所属。同22年曽野木村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305820
最終更新日:2009-03-01




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