ケータイ辞書JLogosロゴ 海士町(近世〜近代)


新潟県>相川町

江戸期〜現在の町名雑太【さわた】郡のうち佐渡ケ島の西部,濁川河口左岸はじめ蜑人町とも書いた町名は慶長年間頃,刀根仁兵衛・磯西茂左衛門に随身した石見・出雲の海士が当地に集住したことに由来「佐渡四民風俗」では,慶長9年御船手役加藤和泉が大坂から海士を佐渡に召し連れたとあるはじめ海士集団は一町目近辺に居住したが,元和年間下戸村地内の当地に移転して成立高は,元禄7年検地高,「天保郷帳」とも9斗余元禄7年検地では町屋敷1反余当町は相川の1町には含まれず,代官支配地の町並み地地内に仕置場があった「巡村記」によれば,天保12年の家数23・人数198,高9斗余,畑1町余,取米2斗余当町の海士はすべて女性で,江戸後期の海士漁師32軒・海士48人(佐渡相川の歴史資料集5)海士の採取した鰒は長鰒と称され,江戸に廻送され小船町で売買された享保18年奉行萩原源左衛門は深さ7尋以上の海中で鰒を捕獲する権利を保証元文5年長崎奉行に転任した萩原は当町の干鰒を長崎に廻送させ,長崎俵物として中国貿易の輸出品にあてた(相川町々書上)明和2年の鰒高は1万斤に及んだ明治6年の人口83同22年相川町に所属昭和48年の人口58
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305826
最終更新日:2009-03-01




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