ケータイ辞書JLogosロゴ 網川原新田(近世)


新潟県>新潟市

 江戸期〜明治22年の新田名。蒲原郡のうち。女池六カ所のうち。元禄12年新田村枝郷新川新池除村年号間数方角之帳(新潟市合併町村の歴史史料編3)は寛永3年開発久蔵興野【きゆうぞうごや】枝郷とし,寛永6年開発ともある(中蒲原郡誌)。はじめ阿弥陀川原新田と称したが,延宝6年改称したともいう。寛永16年横越島絵図には「あミ引かわら新田」とある。新発田【しばた】藩領。郷帳類に村名は記載されず,久蔵興野の高のうちに含まれていたと思われる。宝永5年御所納帳(新潟市合併町村の歴史史料編3)によれば,定納高34石余。寛政11年人家高目録(同前)に家数19(うち本家5・名子10・間脇3・借家1)・人数126,文政9年の家数19・人数131。信濃川の屈曲点に位置していることから,常に破堤の危険にさらされており,江戸期を通じて堤防の維持管理には大きな努力が払われていた。女池新田名主支配。鎮守は神明宮,地名の由来となった仏像は同社の前にある御堂に安置されている。明治5年の戸数17・人口110。同12年中蒲原郡に所属。「皇国地誌」によれば,総反別36町余(うち田26町余・畑8町余),戸数17・人口115,女は農間紡織のほか新潟町で野菜を売っていた。また,農間には漁業も行われていた。同19年信濃川河状整備のため,全戸移転。同22年鳥屋王【とやの】村の大字となる。なお,明治9年久蔵興野から分離(県市町村合併誌)とあるが,不詳。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305833
最終更新日:2009-03-01




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