ケータイ辞書JLogosロゴ 荒沢村(近世)


新潟県>下田村

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。はじめ村上藩領,寛永16年安田(村松)藩領,明治3年からは新発田【しばた】藩領。村高は,「正保国絵図」「元禄郷帳」ともに173石余,「天保郷帳」201石余。寛文検地帳では反別17町余うち田11町余・畑5町余(下田村史)。文化13年の家数43。天保14年八十里越が改修されると,当村に塩蔵が設置された。肝煎ははじめ佐藤家,元禄15年から同家の分家が,文化11年からは兵右衛門が勤め明治期に至った。鎮守は八幡・十二・諏訪・春日の4社であったが,明治11年合祀され荒沢神社となった。明治9年長野校付属荒沢校創立。同12年南蒲原郡に所属。同21年の戸数91・人口480。同22年四ツ沢村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305875
最終更新日:2009-03-01




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