ケータイ辞書JLogosロゴ 荒浜村(近世)


新潟県>柏崎市

 江戸期〜明治22年の村名。刈羽郡のうち。元和2年長峰藩領,宝永3年からは与板藩領。村高は,「正保国絵図」3石余,「天和高帳」16石余,「天保郷帳」97石余。元禄6年村鑑帳では,村高16石余のうち塩高13石余・屋敷高3石余,「当村かせき常ニ塩ヲ仕候并ニ鰯網仕候」とあり,漁船17,馬16,家数40・人数310,村の広さは南北1町・東西50間と記す。安政5年手控に荒浜16石余のほかに新田84石余,家数263ほかに新田家数69,船13ほかに新田船数10,口碑に,新田は,悪田村との鯖石川の川尻争いのための境界番として天和年間荒浜より移住して開発されたという。隣村悪田村との境界争い・干鰯争いや刈羽村との流鯨争いなどがあった。江戸末期〜明治中期頃まで松前稼ぎと称し,庄屋牧口家を中心に北海道と交易,米や麻漁網を売り,鰊・鮭などの海産物を運んだ。寺院は浄土真宗聖徳寺・日蓮宗法華寺,ほかに庵2・堂1,神社は諏訪社のほか9社。明治7年荒浜校開校。同22年市制町村制施行による荒浜村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305885
最終更新日:2009-03-01




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