ケータイ辞書JLogosロゴ 荒屋新田(近世)


新潟県>中里村

江戸期の新田名魚沼郡のうち田沢村22か村の1つ信濃川右岸,清津川の下流右岸台地上地名は,上山村地内に開かれた新屋に由来する寛文11年の開発はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」「元禄郷帳」ともに25石余天和検地では田畑屋敷合わせて反別2町余,のち宝暦6年新田検地で新たに2町余が打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数2・人数21,馬4鎮守は十二社用水が乏しく畑がちの村で,年々の干害に苦しんだ安永2年,同じく干害の多い干溝村をはじめ5か村で清津川上流から通水する計画を立て,天明5年に普請にとりかかる長水路の難場が多く難渋するが,寛政元年漸く通水が始まるこれによって用水が潤沢になる善光寺街道東通りに面していた庄屋は田沢本村に置かれた江戸中期以降は田沢村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305945
最終更新日:2009-03-01




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