ケータイ辞書JLogosロゴ 粟瀬村(近世)


新潟県>上川村

江戸期〜明治8年の村名蒲原郡のうち阿賀野川水系常浪【とこなみ】川支流柴倉川と谷地川の合流点地名の由来は,柴倉川と谷地川の水が合流し合瀬となることによると伝える(東蒲原郡史蹟誌)天正年間には中山氏の八幡城があったと伝える(同前)はじめ会津藩領,文化8年幕府領,文政3年からは再び会津藩領村高は,文禄3年高目録帳223石余,寛永20年保科正之拝領高173石余,「元禄郷帳」123石余,「天保郷帳」191石余元和6年には御役漆木1,109,寛永14年には鮎役30を負担(津川旧記)明和3年上条組産業書上帳には,足駄木・薪山働き,縄の津川町への売出しが記される文政3年庄中御高免相有人馬改帳では,高189石余,うち本田162石余・新田27石余,戸数32・人数148,馬13寺社は,白山神社,浄土宗西方寺がある(新編会津)明治8年の戸数28・人口153(若松県管内地誌)同年三宝分村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305967
最終更新日:2009-03-01




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