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- 安国寺村(近世)とは
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安国寺村(近世) 江戸期~明治7年の村名諏訪郡のうち宮川中流左岸に位置する古くは小海村と称したが,足利尊氏・直義の時代に安国寺が建てられて以後安国寺村と呼ばれるようになったという古くから諏訪大祝の本拠地で,諏訪神社上社前宮のある一帯を神原といい,神原には前宮本殿および神殿と称する大祝の居館があり,また諏訪神社祭事の中心であった安国寺村の古墳は十数基に及び,大祝に関わるものと考えられている村高は,「慶長高辻」242石余,「正保書上」も同高,「元禄郷帳」242石,「天保郷帳」334石余,「旧高旧領」374石余宗門帳による戸数・人口は,延宝2年36・264,元禄7年54・372,享保9年87・473,安永7年104・451,文化2年107・417,文久2年101・402明治4年高島県を経て筑摩県に所属同7年宮川村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
安国寺村(近世) 江戸期~明治初年の村名播磨国加東郡のうち単に安国寺とも称する加古川支流東条川中流域地名は,地内の安国寺に由来すると思われる元禄年間頃までに新定村から分村して成立幕府領を経て,のち宝暦12年からは下総国古河藩領村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」11石余臨済宗東渓山安国寺は足利尊氏が各国に1寺ずつ建立したうちの播磨安国寺暦応2年固山一鞏の開基,室町期には寺領200石,20余の塔頭があったという同寺の背後に足利6代将軍義教の首塚と称する室町中期の宝篋印塔がある嘉吉の乱で,義教の首は河合(小野市)の堀殿城を経て東条谷の安国寺へ運ばれ埋められたという明治初年新定村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
安国寺村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
安国寺村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」