ケータイ辞書JLogosロゴ 飯田村(近世)


新潟県>下田村

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。はじめ村上藩領,寛永16年安田(村松)藩領,明治3年からは新発田【しばた】藩領。村高は,「正保国絵図」「元禄郷帳」ともに631石余,「天保郷帳」656石余。寛文3年名寄帳によれば,反別53町余うち田44町余・畑8町余(下田村史)。肝煎ははじめ渡辺家,文政元年から小柳家が勤めた。当村はもと五十嵐村と称していたが,天災が重なり村が滅びそうになったので,村名を改めたという。五十嵐小豊治の館趾があり,小豊治在城中は約600軒の人家があったが,慶長・元和年間頃一変したという(五十嵐邑記)。鎮守は五十嵐神社。同社を延喜式内社の五十嵐神社に比定する説がある。また社がある場所は,下田郷の開発者とされる五十日帯日子命の陵墓という伝承もある。境内の大杉には人の頭ほどの石がめりこんでおり,この石は五十嵐小豊治が投げたものと伝えられている。修験の観行院・万宝院があった。昔法相宗の寺があり,俗に三千坊と呼ばれるほどの堂宇を誇ったが,黒鳥兵衛の乱の時焼かれてしまったという伝承がある。この本坊の本尊を改めて祀ったのが,真言宗本都寺であるという。明治12年南蒲原郡に所属。同21年の戸数99・人口562。同22年前谷【まえたに】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306005
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ