ケータイ辞書JLogosロゴ 五十土村(近世)


新潟県>柏崎市

 江戸期〜明治22年の村名。刈羽郡のうち。元和2年長峰藩領,同5年高田藩領,天和元年幕府領,貞享2年(元禄3年ともいう)高田藩領,正徳元年与板藩領,文化12年幕府領,文政元年からは上山藩領。村高は,「正保国絵図」34石余,「天和高帳」32石余,「天保郷帳」34石余。文化12年差出明細牒(猪俣家文書)によると,家数14・人数63。社寺には諏訪社・春日社・観音堂があり庄屋の支配。山中で水利の便も悪いため,稲は旱損・寒立のおそれが多分にあった。ほかの作物も自給用が多く,村外へ売り出すものとしては大豆・小豆・大角豆があげられる。正保〜慶安年間,猪俣家の佐次兵衛は,柏崎町の市川喜七の援助を受けて,刈羽村割町新田を開発。明治22年油田【あぶらでん】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306049
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ