ケータイ辞書JLogosロゴ 五十嵐保(中世)


新潟県>下田村

南北朝期〜戦国期に見える保名越後国蒲原郡のうち保域は五十嵐川流域,現在の南蒲原郡下田村とほぼ一致するとみられる上杉長棟(憲実)越後知行分重書案所収の明徳4年将軍家足利義満御教書案(上杉家文書)によれば,五十嵐保はもと国衙領で関東管領家の所領の一部となっていた越後長尾氏次第(同前)を見ると,守護代長尾高景の次男淡路守益峰の後裔が下田に来住しており,当保の代官となったものらしい五十嵐川流域には鎌倉期以来の国人五十嵐氏がおり,戦国初期の蒲原郡白河荘等段銭帳(斎藤実寿所蔵文書/県史研究19)によれば,当保の大部分を掌握していたのは長尾氏と五十嵐氏であったまた,保内に「当沢之村」「江口之村」があったことが知られるが,当沢村については未詳永正7年には「五十嵐保内大浦分」の知行が上杉定実から佐藤修理亮に認められている(歴代古案/越佐史料)大永7年の長尾房景領分段銭日記(反町段銭日記)には「八段 五十嵐保かたくき 豊州」と見えるが,房景は古志の郡司を務めており,当保の一部も恩給地として与えられていたなお,「かたくき」についても未詳なお,異本塔寺長帳によれば越後の豪族城助国が「五十嵐ノ城」を築いたと伝えるが未詳文禄5年の直江兼続条目(本間徴古存墨)には「いからし川かこせき」の記事がある
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306067
最終更新日:2009-03-01




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