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- 池沢村(近世)とは
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池沢村(近世) 江戸期~明治12年の村名荏原【えばら】郡世田ケ谷領のうちもと池尻【いけじり】村と1村であり,正保絵図には見えず,元禄改定絵図に初めて見える(新編武蔵)世田谷吉良氏に仕える世田谷十二将の1人で,元和年中より松平土佐守に出入りしたと伝える重蔵を先祖とする橋本氏が開発,のちに幕府領寛文~延宝年間前後に池尻村より分村(新編武蔵)村高は元禄年間に112石余(元禄郷帳),幕末まで変化はない(天保郷帳・旧高旧領)化政期には家数19軒,水利の便が悪くて旱損を受けやすかった代田村との境には旧広尾天現寺(港区)所領の天現寺山があった(新編武蔵)助郷は東海道品川宿(品川区)に増助郷,甲州街道内藤新宿(新宿区),同高井戸宿(杉並区)に出役明治4年東京府に所属同5年の戸数33・人口175(府志料)同12年池尻村に合併現在の池尻3丁目のあたり |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」