石地村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。刈羽郡のうち。はじめ石地町といった。元和2年長峰藩領,元和5年高田藩領,天和元年幕府領,貞享2年高田藩領,宝永7年からは再び幕府領。村高は,「正保国絵図」では石地村110石余・飯森村15石余・高塩屋村10石余,「天和高帳」161石余,「元禄郷帳」では石地町190石余,「天保郷帳」212石余。北陸街道の宿駅。元禄8年村鑑によれば,家数189・人数1,179,うち漁師50軒程・馬持50軒程・商人70軒程,また高塩屋村・飯森村の枝郷があり,この両所の浜塩高11石余とある。また,船数73とあり,農業のほか漁業が盛んであった。神社は石部山に御島石部神社,十二に石井神社。寺院は形蔵院・高善寺・懸橋寺・大聖寺(廃寺)・円融寺・極楽寺・法界寺がある。形蔵院には高倉天皇御物蓬莱鏡と源義経が後白河法皇から下付された駅鈴を伝えている。明治6年石地小学校が大聖寺に開校。同21年日本石油会社が内藤久寛によって創設された。明治22年石地町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306161
最終更新日:2009-03-01