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- 石瀬村(近世)とは
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![]() | 石瀬村(近世) 江戸期の村名宇土【うと】郡のうちはじめ熊本藩領,正保3年からは宇土藩領村高は,「寛永郷帳」370石余,「正保郷帳」も同高でうち田355石余・畠14石余,「天保郷帳」378石余正保3年宇土藩創設に際し,村内の一部に家中屋敷が建てられ,同地は石瀬小路と称したまた町屋が並んだ一角は石瀬町と称した両地はともに宇土町の支配を受け,延宝9年頃,やがて残っていた村方部分の築籠は分かれて一村となった「天保郷帳」では,築籠村を載せず,当村に高を記載するのは,従来の郷帳の記載にならったもので,当村の高は築籠村の高にあたるなお「肥後国誌」では,松山手永内に村名が見えるが,「里俗石ノ瀬町ト云」とあり,高は築籠村の項に記されている石瀬村は現宇土市本町6丁目と石小路町にあたる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 石瀬村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」