ケータイ辞書JLogosロゴ 石扣町(近世〜近代)


新潟県>相川町

江戸期〜現在の町名江戸期は相川の1町石砕町とも書く相川之図(佐渡志)によれば,町並みは南北に続き,南は塩屋町,北は小六町に接する町名は,慶長年間頃に鉱石を粉砕する施設が置かれたことに由来する相川町々書上によれば,町並み83間,町屋敷6反余,当町東端から東西に続く小路は,もと医師本田勇仙が居住したことから勇仙小路という元禄7年検地帳では屋敷6反余,屋敷数は東側25・西側20文政9年墨引帳では家数・竈数とも54,職業は針仕事師7・商人6・日雇5・家大工4・勝場仕事師3など真宗西光寺・専法寺がある(佐渡相川志)明治6年の人口177同22年相川町に所属昭和48年の人口105
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306217
最終更新日:2009-03-01




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