ケータイ辞書JLogosロゴ 板倉郷(中世)


新潟県>板倉町

 室町期〜戦国期に見える郷名。越後国頸城郡のうち。応永18年8月19日付居多神社社領注文に「頸城郡分……板倉郷内」とあり,当郷内の地名として本郷東・利苅が記されている(居多神社文書)。また,越後守護上杉定実袖判安国寺領所付写にも「一所板倉郷内利苅 一所同郷内小与目」とある(関興庵文書)。下って,慶長2年霜月28日付河村彦左衛門等連署知行宛行状では「頸城郡板倉郷内」の400石の知行が上杉景勝から山吉玄番宛に与えられた(上杉家御年譜)。利苅のほか,文禄〜慶長年間の史料に徴すれば郷内の村としては西条村・針村・山部村・中島・横丁村・下代屋村などが数えられる(専念寺所蔵顕如証人真影文禄2年9月12日付裏書/新井市史上,花井孝秀所蔵文書慶長16年8月28日付松平忠輝宛行状/信濃史料21,勝徳寺所蔵蓮如上人真影慶長2年4月14日付裏書/越後親鸞と恵信尼,米沢上杉家之藩山吉家伝記之写/三条市史資料編2)。針村は郷の中心をなし,天正6年9月に上杉景勝から岩井備中守に宛行われた「板倉村平七分」があった板倉村とはあるいは同村を指すとも考えられる(覚上公御書集2)。現在の板倉町針から新井市西条に至る地域を含む,頸城平野の南部,関川右岸の地域に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306296
最終更新日:2009-03-01




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