ケータイ辞書JLogosロゴ 市町(近世〜近代)


新潟県>相川町

江戸期〜現在の町名江戸期は相川の1町町並みは,相川之図(佐渡志)によれば南北に続き,東は四町目浜町,北は三町目新浜町に接し,南は橋で下戸浜町につながる相川町々書上によれば,正徳5年町屋敷2反余が取り立てられ成立したといい,町並み48間はじめ新町と称したが,当町で米屋町の魚屋店が三魚役を請け負い,また毎朝青物類の市がたったので市町と改めた朝市はのち下戸町に移った相川の時の鐘の撞料は,当町の公儀長屋の宿賃をもって賄われていたが,宝暦3年から願いにより市町,下戸町との月替りを命ぜられたまた,地内に四町目浜町に至る小路があり,町内には雇女という遊女があらわれ繁盛したため,水金町からの申入れで禁止された文政9年墨引帳では竈数22うち針仕事師4・勝場仕事師3・商人3明治6年の人口106同22年相川町に所属昭和48年の人口10
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306372
最終更新日:2009-03-01




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