ケータイ辞書JLogosロゴ 茨曽根村(近世)


新潟県>白根市

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。延宝年間茨新村が分村(中蒲原郡誌)。枝村に庚村があった。はじめ新発田【しばた】藩領,のち幕府領を経て,慶安2年からは村上藩領。村高は,「正保国絵図」590石余,「元禄郷帳」603石余,享保13年村々高辻帳(県史資料編8)782石余,「天保郷帳」3,425石余。村上藩茨曽根組の大庄屋関根家の居宅があった。宝永7年1月から翌正徳元年10月にかけて村上藩飛地の4万石領で幕府領編入などをめざした85か村・4,000余人によるいわゆる四万石騒動が起きた。茨曽根組は村上藩が15万石から5万石になったのに伴い,当村が村上藩領,茨新村・東萱場村などが幕府領となった。村上藩領となった村々は大庄屋の画策が裏であったと知り,村上藩を嫌い幕府領編入を訴願,幕府領の村々も大庄屋制廃止を要求した。当村からも参加し入牢者が出ている。新井白石の「折たく柴の記」にも触れられている有名な事件であった。「北越雑記」によれば,文政年間,村の広さは東西10町余・南北20町余,家数230余軒,米・雑穀のほか,綿・胡麻・烟草・茶などを作った。文久年間関根元林らによって寺子屋が開かれた。鎮守は諏訪社などがあった。寺院は曹洞宗永安寺。明治6年本間菊堂の漢学塾に茨曽根校設置(中蒲原郡誌)。同8年下道潟上新田・下道潟中新田・茨新村を合併。同12年中蒲原郡に所属。同21年の戸数338・人口2,138。同22年茨曽根村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306487
最終更新日:2009-03-01




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