ケータイ辞書JLogosロゴ 今曽根村(近世)


新潟県>清里村

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「正保国絵図」331石余,「天和高帳」482石余・新田39石余,「天保郷帳」527石余。享保7年からの質地騒動に関連して,同9年当村の四右衛門・孫左衛門が捕縛された(清里村史)。宝暦10年以降,当村にも郷蔵が設けられた(同前)。神社は諏訪社。また,天明年間に長嶺村(板倉町)との間に川争いがあり,別所川と雁平川の合流点に川の守り神として神明祠を安置した(現在は諏訪社境内に移転されている)。寺院は曹洞宗韜光庵。同庵は青柳村円福寺の弟子が再興したもので,回国札所33体の観音が安置されている。明治12年からは中頸城郡に所属。同21年の戸数54・人口308。同22年菅原村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306537
最終更新日:2009-03-01




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