ケータイ辞書JLogosロゴ 芋川新田(近世)


新潟県>中里村

江戸期の新田名魚沼郡のうち倉俣村10か村の1つ信濃川支流清津川右岸の段丘上慶安元年芋川村地内に開発された新田川原新田とも呼ばれたはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」17石余,「元禄郷帳」では芋川村枝郷とあり同じく17石余天和検地では反別田畑合わせて2町余,のち宝暦6年新田検地で新たに1町余が打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数1・人数11神社は神明社庄屋は倉俣本村に置かれた新田開発以来清津川端に居屋敷があったが,享保3年の洪水で1村流亡となり,住人は対岸田沢村桔梗ケ原の一部を借地して移住した清津川は水量が多く水勢も強く,本村への往来は不便であった江戸中期以降は倉俣村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306564
最終更新日:2009-03-01




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