ケータイ辞書JLogosロゴ 芋鞘新田(近世)


新潟県>入広瀬村

 江戸期〜明治22年の新田名。魚沼郡のうち。「元禄郷帳」「天保郷帳」には穴沢村枝郷と注記される。明暦3年の成立。はじめは芋羽毛【いもはげ】新田と称し,「天和高帳」でも芋羽毛新田と見えるが,延享元年糸魚川【いといがわ】藩主の命で芋鞘新田と改称したという(芋鞘新田区有文書)。ただし,すでに元禄6年の史料に芋鞘新田の名が初見する。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,寛保3年からは糸魚川藩領。村高は,明暦3年の成立時に3石余,「天和高帳」「元禄郷帳」ともに10石余,「天保郷帳」14石余。戸口は,宝永4年宗門帳で3軒・37人(宮家文書),文政6年に18軒・94人。鎮守十二神社と守門神社・稲荷神社を祀る。安政4年須原村守門神社の神官により守門岳参拝路が開かれた。穴沢村や平野又新田と用水や入会林野をめぐる争いを繰り返しつつ村境を確定していった。明治12年北魚沼郡に属す。同22年入広瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306566
最終更新日:2009-03-01




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