ケータイ辞書JLogosロゴ 芋沢村(近世)


新潟県>中里村

江戸期の村名魚沼郡のうち田沢村22か村の1つ信濃川右岸台地上はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」20石余,「天和高帳」「元禄郷帳」ともに34石余天和2年検地では田畑屋敷合わせ反別6町余,のち宝暦6年新田検地で新たに7町余が打ち出された善光寺街道東通りに面する庄屋は田沢本村に置かれた鎮守は二社権現元禄7年改村鑑によれば,家数4・人数43,馬9下島という信濃川流域にも耕地の一部があり,増水による流亡を繰り返したことに隣村の水沢村との間に,そのつど境界争論が生じた江戸中期以降は田沢村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった天保8年当村の百姓仙太郎が首謀した百姓一揆は米穀商太田島の磯兵衛を襲い,これにより一時的に米穀が下値になったが,同年津南の百姓一揆を誘発した
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306568
最終更新日:2009-03-01




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