ケータイ辞書JLogosロゴ 岩船(中世)


新潟県>村上市

 南北朝期から見える地名。越後国岩船郡小泉荘のうち。「義経記」巻7によれば,源義経が北陸道を通り平泉へ逃れる途中「岩船」を通っている。建武2年9月21日源某から色部惣領・一族に「岩船宿」への参陣が命ぜられている(反町色部文書)。貞治7年4月15日色部忠長は嫡子鶴童丸(氏長)に相伝の加納方色部・岩船・青島(粟島)を譲り,氏長は応永3年8月10日これを嫡子熊童丸(朝長)に譲っている(同前)。色部氏惣領伝領の岩船は岩船潟が日本海につながる地点の南側にあり,潟は船溜りとして同領の粟島との交通の要衝であった。「色部氏年中行事」によれば,正月4日に岩舟衆が色部館に参上している。また,ここに見える「五日市」「横浜」は当地内の地名である。文禄4年の色部家老臣連署知行定納覚に,岩船町は295石1斗,本屋敷数166間と記されている(斎藤実寿所蔵文書/県史研究19)。「慶長国絵図」には,岩船町と記して南の牧目村からの道の両側に家並み,その外側に柴垣を描いている。岩船潟が海へ注ぐ河口には木橋が架けられ,塩屋村から瀬波村へ通じる浜街道の重要な橋である。潟には島があり堂が描かれている。橋の対岸の丘陵の木立の中に石船明神と曹洞宗諸上寺を描き,いずれも色部分と肩書きしている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306653
最終更新日:2009-03-01




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