ケータイ辞書JLogosロゴ 牛屋条(中世)


新潟県>神林村

 鎌倉期〜戦国期に見える条名。越後国岩船郡小泉荘のうち。小泉荘加納の南部,神林村の牛屋・宿田【やずた】・飯岡・松沢・福田・塩谷などを含む。建長6年11月8日,加納の内の色部・牛屋・粟島などの地頭職が色部為長から嫡子公長に譲られ,翌7年3月27日に鎌倉幕府から安堵されている(反町色部文書)。公長は文永7年8月25日牛屋条を作路より東西に分け,東は松沢新田等を除いて三男氏長,西は上新保を除いて四男長茂に譲り(米沢古案記録草案),氏長は宿田氏,長茂は牛屋氏の祖となった。氏長分は建治2年8月3日子息若童丸(長直)へ譲られ(米沢色部文書),長茂分も子息長行に譲渡された。文保3年3月18日の関東下知状案写は,長行の所領牛屋条と長直の所領宿田村の境相論の裁許とされており,牛屋条内では東方の宿田氏よりも西方の牛屋氏が優位であった(米沢古案記録草案)。元弘3年鎌倉幕府が滅亡すると,色部長行は同年5月18日足利尊氏に着到状を出している(桜井市作所蔵文書)。これは色部惣領長倫の着到状より3日早い。長行の子長高は同年10月牛屋条の安堵を申請し,同年12月14日越後国守護新田義貞から国宣を得た(米沢古案記録草案)。文明15年12月13日色部惣領家の朝長は松鶴丸(憲長)に相伝の所領として,惣領分・浦分・宿田分・牛屋役を譲っており,朝長の代には当地を含む色部全領の支配が惣領家に復したとみられる(光西寺所蔵文書)。なお,字館ノ内は牛屋氏の館跡。日枝神社境内には南北朝期の石仏が1基ある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306753
最終更新日:2009-03-01




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