ケータイ辞書JLogosロゴ 鶉石村(近世)


新潟県>能生町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,寛保2年からは再び高田藩領。村高は,延宝7年越州四郡高帳88石余・改出6石余,「天和高帳」168石余,「天保郷帳」176石余。天和検地では,反別田10町余・畑7町余,漆木5,村中持茶山3町余。天保7年宗門人別帳によれば,家数32・人数174,馬5,寺1。鎮守は十二社(のちの鶉石神社,現母袋【うつろ】神社)。寺院は真宗大谷派明福寺。同寺は,もとオノエムの家の屋敷にあったが,天明3年の飢饉の際に現在地に移ったという(能生町史)。明治12年からは西頸城郡に所属。同21年の戸数33・人口204。同22年西能生村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306770
最終更新日:2009-03-01




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