ケータイ辞書JLogosロゴ 歌村(近世)


新潟県>青海町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,貞享2年高田藩領,元禄14年幕府領,文化6年からは高田藩領。村高は,「天和高帳」15石余,「天保郷帳」17石余。海岸の小村だが,北陸道の宿駅で,庄屋七郎右衛門が本陣・問屋を兼ねた。加賀藩主の通行する道すじに当たり,難所でもあることから,歌本陣から加賀藩に拝借金を願い出たこともあった。宝暦11年の家数30・人数149,文久3年の家数43・人数214(青海町史)。神社は,もと海岸の岩山にあったが,村の奥へ遷宮した羽黒社。そのほか宝暦11年巡見使案内帳に見える小倉明神社は,のち大凶作の時糸魚川【いといがわ】の松倉某が寄付して当村を救ってくれたことから,同人を祀り,社名を松倉明神と変えた。明治12年からは西頸城郡に所属。同22年歌外波村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306775
最終更新日:2009-03-01




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