ケータイ辞書JLogosロゴ 浦田口村(近世)


新潟県>松之山町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「正保国絵図」78石余,「天和高帳」105石余,「天保郷帳」288石余。十二神社,禅宗陽広寺がある。松之山南組高附手鑑によると本百姓24・名子8。天明3年・天保8年に飢人夫食米拝借願をしている。江戸中期まで大肝煎を勤めた村山家は,山五十公郷大島村・妻有郷寺石村の両口留番所出入の女通行手形を発行してきた。慶応4年戊辰戦争の時に途中脱出した幕府浪人をかくまうが,浪人と村民の間に事件が起こってかくまいきれず,柏崎民政局の役人の派遣を仰ぎ裁判を受けた。枝郷兎口は大松山と浦田口の中間の高地集落で,近年観光地としても宣伝している。明治8年観音寺校を浦田口村に移し浦田口校とする。同12年からは東頸城郡に所属。同17年浦田口郵便局開局。同22年松之山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306903
最終更新日:2009-03-01




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