ケータイ辞書JLogosロゴ 瓜生屋村(近世)


新潟県>新穂村

 江戸期〜明治22年の村名。加茂郡のうち。幕府領。村高は,元禄7年検地帳1,095石余,「天保郷帳」1,099石余。元禄7年検地帳では田902石余・47町余,畑148石余・16町余,屋敷44石余・3町余。「巡村記」では,天保12年の家数92・人数363,高1,099石余,田47町余・畑20町余,取米427石余。寺社は,今熊寺・泉立寺・大日堂,熊野権現社・伊豆奈権現社・白山権現社・毛利権現社・諏訪大明神。享保年間,八王子の須田五郎左衛門が江戸で説教節を,京都で人形遣いを習い,当村などで説教人形の合狂言としてのろま人形を広めた。用水は新穂【にいぼ】川の上流堰元から取水し,水利の便が良かった。明治10年善光寺村を合併。同15年の戸数119・人口533。同22年新穂村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7306923
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ