ケータイ辞書JLogosロゴ 大倉村(近世)


新潟県>守門村

 江戸期〜明治22年の村名。魚沼郡のうち。元和2年長岡藩領,同4年高田藩領,延宝9年幕府領,天保4年からは糸魚川【いといがわ】藩領。村高は,「正保国絵図」36石余,「天和高帳」78石余,「天保郷帳」146石余。延宝2年高軒指出帳での家数11。天和3年検地帳では田5町余・畑3町余。享保14年の家数26・人数194。天保年間頃の家数68。鎮守は十二神社。治沢山松坂岩窟の馬頭観音堂は,4月19日・6月19日を縁日と定めて岩窟堂の開扉をするが,参詣者は前日から数千人が押し寄せ,馬市も立ち,相撲も行われた。農業のほか,男は材木・木呂【ころ】・薪を切ったり鼻不嚙【はなかまず】舟(丸木舟)を造って四日町河岸で商い,女は白布・小白布・縮・紬を織り養蚕を行う。また,山漆木・里漆木があり,蝋実・蝋穂は領主の買上げとなる。元治元年新規に生糸・絹織物等に課税する七品運上品替に反対する上条村々の議定に当村も連判する。明治5年の租税は,本途米45石余,見取米2斗余,山手米5升,野手米2斗余,小役51銭余,山蝋実代11銭余,里蝋穂代2銭9厘余。同12年北魚沼郡に属す。同21年の戸数84・人口478。同22年広瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7307189
最終更新日:2009-03-01




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