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- 太田新田(近世)とは
「太田新田(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 太田新田(近世) 江戸期の新田名魚沼郡のうち秋成村5か村の1つ信濃川支流の中津川中流右岸段丘上,苗場山系小松原山麓承応3年の開発別称を野地という地名は,平坦面に開かれた大いなる田という意かはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」28石余,「元禄郷帳」では見玉村枝郷とあり28石余住居は字太田新田と中山の2か所にある元禄7年改村鑑によれば,家数4・人数35,馬6鎮守は十二社村の周囲は採草地に恵まれ,古くから中深見村・船山村の入会地になっていた享保年間家数が増えると,順次他村の入会を差し止めるようになり係争が生じた秋成村全体を統括する庄屋が秋成村に置かれ,当村には庄屋が置かれなかった江戸中期に秋成村の一部となったと思われるが(天保郷帳),山間集落のため,その後も独立して扱われることがあった |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 太田新田(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 太田新田(近世) 江戸期~明治7年の村名美濃国石津郡のうち幕府領揖斐【いび】川右岸流域太田輪中の水場地帯村高は「天保郷帳」79石余,「旧高旧領」318石揖斐川堤288間・北内堤38間半・下内堤152間悪水落圦4か所宝暦9年の戸数28・人口122社寺は八幡宮1社・真宗大谷派教覚寺郷蔵1か所(村明細帳)明治2年の戸数23・人口102(村明細帳)明治4年岐阜県に所属同7年太田村と合併し田鶴村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」