ケータイ辞書JLogosロゴ 大塚村(近世)


新潟県>刈羽村

 江戸期〜明治22年の村名。刈羽郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,貞享2年高田藩領,寛保元年白河藩領,文政6年からは桑名藩領。村高は,「天和高帳」622石余・新田34石余,「天保郷帳」668石余。「白川風土記」によれば,村況は東西5丁・南北3丁,家数53。また,隣村割町新田が低地のため当村内に居屋敷があり,その地代米9石。南西に家数22の端村土丸【どうまる】がある。村の北西に大小2つの堰が別山川の用水確保のためにあり,割町新田・新屋敷両村と共同普請となっている。長岡街道の土橋は長さ10間・幅9尺で,人夫は郡中持ち,費用は領主持ちで普請した。郷蔵1。鎮守は白山社,ほかに諏訪・十二・道祖・若宮の各社がある。堂は観蔵堂と十王堂。寺院は真言宗十楽寺。明治22年東城村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7307379
最終更新日:2009-03-01




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