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- 大原新田村(近世)とは
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大原新田村(近世) 江戸期~明治8年の新田村名会津地方東部,酸川北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領川東組に属す村の成立については「寛文中,肥後守正之,命じて岩弓堰を鑿り,酸川野村より四軒の百姓を移して,其境内の原野を墾かしむ」とある(新編会津)村高は,享保3年210石余(小林家文書),文化15年の村日記(県史10下)では230石余,「天保郷帳」233石余,「旧高旧領」236石余享保3年の家数42軒・人数175,馬23,文化3年の家数24軒・人数85,馬16(小林家文書)化政期の家数23軒(新編会津)肝煎は古くは小平潟家,のち菊地家猪苗代三十三観音外2番の札所観音堂と地蔵堂がある鎮守は大山祇神社明治元年10月村役人排斥の一揆で休役となった肝煎は,12月に帰役願いを民政役所へ提出した(小林家文書)明治8年酸川野村・木地小屋村と合併して若宮村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大原新田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」