ケータイ辞書JLogosロゴ 岡嶺新田(近世)


新潟県>清里村

 江戸期〜明治22年の新田名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領。天和元年からは幕府領。村高は,「天和高帳」14石余,「天保郷帳」では岡之町村枝郷とあり16石余。地内の観音堂は「観音さん」「耳だれさん」あるいは「岡嶺の宮」と呼ばれ,耳病に利益があるとして広く近郷の人々の信仰を集めた。耳病が治ると,椀をつないで奉納する習慣がある(清里村史)。観音堂の周辺には,江戸期までいくつかの寺・堂があり,昭和初期まで屋敷跡と思われる石組みが見られたという(同前)。のち,明治41年境内の法華経塚から一石一字の経石6万3,985個が発掘された。明治12年からは中頸城郡に所属。同21年の戸数5・人口27。同22年菅原村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7307604
最終更新日:2009-03-01




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