ケータイ辞書JLogosロゴ 小萱村(近世)


新潟県>柿崎町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,文化6年からは高田藩領。村高は,「慶長国絵図」21石余,「正保国絵図」36石余,「天和高帳」86石余,「天保郷帳」104石余。天和検地では,反別田5町余・畑1町余・山19町余,漆木40。文化8年の家数40・人数227(小熊家文書)。「頸城郡誌稿」によれば,「臭水(石油)ハ谿澗細流トシテ流出ス。風草水ハ安政年間同谿間ニ発見。小萱湯ハ風草水火(天然ガス)ニテ沸シ湯ナリ。明治三十四年頃廃業ス」とある。神社は諏訪大明神・十二神社・薬師。ほかに観音堂があった。のち明治8年薬師を小萱神社と改称。戸数に対し農地僅少のため,早くから炭焼きを副業としてきた。地租改正に伴い,明治7年水源山の所有が小萱村の民有地か官有地かをめぐり争論となり,明治13年大審院で当村は敗訴,同地の伐採も禁止となる(小萱区長箱文書)。明治12年からは中頸城郡に所属。同21年鉢崎小学校小萱分校が開校。同年の戸数41・人口141。同22年鉢崎村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7307608
最終更新日:2009-03-01




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