- JLogos検索辞書>
- 荻野村(近世)とは
「荻野村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
荻野村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荻野村(近世) 江戸期~明治8年の村名萩野とも見えるが誤記である会津地方北部,阿賀川北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領大谷組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では40石余,寛政年間の「会津鑑」では48石,「天保郷帳」では萩野村として54石余,「旧高旧領」にも萩野村と見え80石余村名はもと湿地で荻がよく繁茂していたことによる化政期の家数8軒(新編会津)西部の岩屋に観音堂があったが慶長年間に火災で焼失した中部の館跡は武藤出雲員綱の居住したと伝え,駒清水跡は武藤氏が馬を洗った所といい,付近の大清水とともに慶長16年の地震でふさがったという肝煎の武藤氏は員綱の子孫という(新編会津)なお,天文9年2月27日の諏訪神社棟札(若松本二之丁諏訪神社文書)には蘆名氏の家臣団名が記されているが,そのなかに「荻野左馬允与綱」の名が見える明治4年の戸数4・人口31(若松県人員録)同8年大谷村ほか3か村と合併して上郷村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荻野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荻野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荻野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」