ケータイ辞書JLogosロゴ 小国保(中世)


新潟県>小国町

 南北朝期〜戦国期に見える保名。越後国魚沼郡のうち。「尊卑分脈」によれば源頼政の甥宗頼の子に小国三郎頼連(頼継)がおり,「住越後国小国保」と記されている。また頼連の弟頼重に「小国六郎」,頼連の子頼隆に「小国三郎二郎」,その子頼村・頼尚・頼氏・頼景にそれぞれ「小国又二郎」「小国三郎」「小国四郎」「小国五郎」と小国姓が記されている。おそらく頼連の一族が小国保の各地に土着し領有を行ったのであろうが,小国氏は南北朝期頃までに弥彦荘に根拠地を移したようである(小国町史本文編)。下って文明9年12月27日および同29日の上杉家(房定)老臣連署奉書によれば,上杉房定が毛利重広に,「魚沼郡小国保」のうちの「尾山分并当知行人之分」と「諏方二郎右衛門尉知行分」を与えており,当保の一部が毛利安田氏の領有になっている(反町毛利安田文書)。また,年月日未詳の本領日記には「いをぬまこほりのうち おくにのほう さいとう方当知行」と見え,斎藤氏の領有がうかがえる(米沢古文書集)。以上の史料からは,中世当保が魚沼郡に属していたことも知られる。なお,天正9年2月15日の斎藤朝信安堵状写,同16年9月晦日の斎藤景信宛行状写に「小国下分」と見える(佐藤文書)。現在の小国町一帯に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7307685
最終更新日:2009-03-01




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