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- 桶町(近世~近代)とは
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桶町(近世~近代) 江戸期~昭和45年の町名江戸期は金沢城下町のうち,本町の1つ明治22年からは金沢市の町名桶屋町ともいう金沢城と浅野川の中間に位置し,城下北部に当たる北国街道から2筋北方の道筋町名は,江戸初期,桶屋職人が集住していたことによるという(古蹟志)町人居住地文化8年約113間,地子歩高約155歩で,組合頭杉山三郎左衛門支配下に商人15軒,職人7軒など計37軒を数える(文化8年町方絵図・名帳)明治4年新しく建てられた7軒が博労町へ編入し,同5年ごろ常福寺上地【あげち】町を編入「皇国地誌」には「県庁ノ北方袋町ノ北ニ並行シ,東ハ彦三四番町ノ南頭ヨリ西ハ彦三七番町ニ達スルマテヲ云フ壱町三拾五間許・幅凡弐間五尺」と記載されている大正5年の戸数99・人口285昭和40年一部が金沢市彦三【ひこそ】町1~2丁目,同45年残余が尾張町2丁目となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
桶町(近世~近代) 江戸期~昭和6年の町名1~2丁目があった町名は桶職人の集住地であったことによる寛永18年の当町を火元とする火事は97町,130余の武家屋敷を焼失し,江戸初の大火といわれた(備考)町内には名井「譲【ゆずり】の井」があった夏期に1椀1文で売り,その貯えを子孫に譲ったことから名づけられたという(砂子)明治元年東京府に所属同2年,丁目の別を解消,同5年の戸数316・人口1,254(府志料)同11年京橋区に所属明治期には書家尾形月耕・浮世絵師月岡芳年・講談師桃玉が居住していた(画報)昭和6年,槇町【まきちよう】1~2丁目・京橋1~2丁目に編入現行の八重洲【やえす】2丁目・京橋1~2丁目のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」