押付村(近世)
江戸期の村名魚沼郡のうち外丸村11か村の1つ信濃川左岸はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」120石余,「元禄郷帳」50石余元禄7年改村鑑によれば,家数9・人数131,馬9神社は矢放社・熊野社対岸の割野村との間には渡船場がある激流で巨石の多い岨滝(惣滝)は通船を拒み,鮭の漁場であった集落は押付と小島に区別されていたが,川沿いの小島は洪水の被害が大きく,寛保2年の大水害後家建てを山沿いに移した外丸村全体を統括する庄屋が外丸村に置かれ,当村には庄屋が置かれなかった江戸中期に外丸村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7307740
最終更新日:2009-03-01